Home / IUI & Misc / IVF Diary / IVF Schedule / Cost / Link / Guest Book
<<Sep 18 (Day 46)- Oct 02 (Day 60) Oct 14 (Between Cycles) - >>
October 03, 2007 (Day 61)
リビングで目が覚めてトイレに行ってぎょっとした。明らかに出血の量が増えている!本当にそのまんま生理のようだ。
 シャワーを浴びようとすると下腹部が痛く、バスタブの中でへたりこんでしまった。

 Laurenに電話を入れ、1時間ほどで彼女から折り返し電話をもらう。今すぐ病院に来て、hCGのテストをしたいとのことだった。
 Laurenから電話があったのと、夫が出かけてしまったのが丁度行き違いだったので、夫に電話をして、付いて来て欲しいと頼む。最初は今晩からのトレーニング出張の準備で抜けられないから無理、と言っていたので少しがっかりしてしまったのだけど、Nashvilleまで向かう途中で彼から電話。とりあえず何とか他の人に理解してもらったのでついてきてくれるそうだ!
 Nashvilleに向かう暗い気持ちの車中、夫がいきなり泣き出した。声をつまらせながら、IVFのプロセスを殆ど一人っきりでさせてしまったり、一人で自分がArmyにいなかったら大切な時にもっと一緒にいてあげられるのに、本当にゴメン、自分はまだまだベストを尽くしていないのではないか、などなど。
 片方が感情的になると片方が冷静になる、というのはよくあることで、私はそれまで動揺してもやもやしていたのが何だか一気に落ち着いた。私がいつも不安でハラハラしたり、泣いてしまう方だったので、こうして夫が感情を素直に出すことが出来たのは良かったのだと思う。

 とりあえず血液検査を受ける。Laurenが、明日まで待てば保険が少しカバーされる可能性がある、と提案してくれたのだけれど、とてもじゃないけれど明日まで待てない。全て実費で払うから、今日中に結果が欲しいと申し出る。

 帰って来ると先日オーダーしたプロジェステロンの膣坐薬が届いていた。今日の数字が悪ければこれでおしまいになってしまう。何としてでもこれを使う数字が出て欲しい。

/////////////////

 Laurenから電話。hCGレベルは126に低下したそうだ。流産確定と言う話をする。ソウハ手術をするかどうかを見るのでまだhCGはモニターするらしい。正直今のところ、涙さえ出ず、呆然と何か何だか全く掴めていない状態。多分、後からじわじわ来るのではないのではないかと思う。よりによって夫は今晩から出張で、1ヶ月以上連絡もとれなくなる。
 どうしたものだか・・・。

//////////////////

 夫が痛々しいほど気を遣ってくれているのが分かって、余裕がなくそれに答えられない自分に戸惑ったりしたのだけれど、仲の良い女友達に電話をかけたら涙がどんどん出てきて、やっと泣くことが出来た。
 泣いた後は関を切ったように夫にも素直に接することが出来て、色々な話をする。こんな結果に終わってしまったけれど、まだ凍結胚もあること、私達がまだ希望を持っていることなど、そしてそれでも二人でここまで来れてよかったと思っているし、お互いを尊敬していることなど。
 多分私達は最初に9と言われた時点でこれが起こりうることはどこかで知っていたのだと思う。どこか感情的に浮かれきれることも出来なかったし。
 今回のショックは後々波のように又押し寄せては来ると思うけど、やはりポジティブではいたいと思う。

 私達は今回はダメだったけれど、他のIVF、不妊治療を受けている人たちには是非成功して欲しいと心から願っています。ここまで来るのがどんなに大変だったか、辛かったか知っているだけに是非成就させて欲しいし、それは私達の次への希望になるんだと思う。
 
October 04, 2007 (Day 62)
 昨日は深夜に夫を見送って、寝付けないまま時計をみたら午前4時。少しうつらうつらして7時ごろに起きる。
 夫と昨日夕食の時に話をしてもう大丈夫、だと思っていたのだけどシャワーを浴びていたら急に気持ちがこみ上げてきて声をあげて泣いてしまう。今回のIVFで失敗してしまったということよりも、赤ちゃん(まだ胎芽なのですが私達はそう呼んでいたので)が死んでしまうんだ、もう死んでしまったのかもしれないんだ、ということが一番辛い。

 犬のえさだけ出して、午前10時ごろまでソファーに横たわって何もせず、ただぼんやりとする。昨日流産を打ち明けた友達から電話。気を遣って家に遊びに来ないか、と誘ってくれたのだ。こんな重たい状況なだけに、彼女も誘い辛いだろうにそれでも声をかけてくれるなんてとても嬉しい。

 家にこのまま一人でいても一日ソファーで泣いたりぼんやりして過ごしてしまう、と思ったので早速お言葉に甘えてお邪魔させてもらう。

 彼女と取り留めのない話をして、とても気がまぎれるし、軽くなる。お昼にお好み焼きまでご馳走になってしまった。少しすると彼女の子供達も学校から帰って来て、にぎやかになる。子供たちに愛情をそそぐ様を見ていると、私まで笑顔になって、いいエネルギーをもらった気持ちになる。
 と思っていたら、お昼過ぎくらいから出血の量が多くなり、頭が貧血のようにめまいでふらふらし、軽い吐き気も。このまま本当に具合が悪くなる前に、とおいとまさせてもらう。

 家に帰ると頭痛もきつくなり始め、タイレノールを飲み、横になる。念のため、軍の病院のERの番号を手元に置いておく。救急車を呼ぶと数百ドル請求されたりするかもしれないからタクシーで行った方がいいのかな・・・などとぼんやり考えているうちに少し体調がよくなってくる。

 まだまだ気持ちは暗いものの、大分落ち着いてきた。夜寝る前に今回のサイクルで泣くことは今日でで終わりにしようと決める。
October 05, 2007 (Day 63)
 朝起きて又シャワーでぐっと泣きそうになるが、呼吸を整えて押さえる。
 
 病院でいつものように採血を受ける。いつもどおりすぐに帰ろうとすると、今日はDr. Weitzmanと会うようにと言われて個室で待つ。30分ほどして、Dr.Weitzmanが来る。Miscarriageですね、と言われて不用意にどきっとすると同時に、そうなんだな、と思い知る。
 ざっと今回までの状況説明の話をする。話の内容はベータに関するもの。

 基本的に期待できませんが、という前置きで、前々回131から前回126に下がったことから 非常に少ない可能性で、双子だったかもしれないうちの一人が亡くなったのかもしれない、とう可能性があるけれど、言われる。Drに、それに関しては期待できないのは分かっています、と答える。今から考えられる限りの最悪の事態ってどういうことがあるんでしょうか?と聞いてみる。もし今日のβがまだ高い場合には子宮外妊娠の可能性があります、と説明された。そうなった場合は手術は不可避だろうなあとぼんやり考える。

 ここ数日ずっと続いている出血は生理なんでしょうか、それとも違うのでしょうか、とも聞いてみる。答えはYesでもありNoとも言われた。子宮内膜が剥がれているので生理と呼べなくもないが、(リセットするための)通常の生理とは又違うそうだ。確かに大きなspottingでナプキンは必要なものの、ずっとその調子でいわゆる通常生理での量の増減などが全くない。ただ、βが下がった日からプロジェステロンは打つのをやめているので問題がなければ生理がくるはずだ。そうすれば、ホルモンの検査などをした上で、すぐに次のサイクルに行くことも出来ますよ、と言われた。
 先生はカルテに目を落とすと、3つも(前回よりはやや落ちるものの)質のいい凍結胚盤胞があるのはいいことだね、と付け加えた。
 
 全ては今回のβ次第で、先生もこの先の事は今のところ何も言えないのだろうなあと察してみる。最後に一つきになったのが、最初の妊娠判定時に、最低限いくつくらいのβがあれば、「正常妊娠」として考えられるんでしょうか、と聞いてみた。しばらく考えた後、60-100以上かなあ、と答えていた。うーん、9とは遥かに遠い。

 まっすぐ帰る気にはなれずぶらぶら運転していたらLaurenから電話があった。βは30いくつ(運転中だったので細かい数字は覚えていないのですが)まで落ちたそうだ。手術の可能性を聞くと、この数字の落ちだったら恐らくないという。また月曜日に数字をとるそうだ。そっけないLaurenには珍しく、感情を込めてYou have a great weekend, OK?と二度も言われる。そういえば先週の今頃、ベータが9から34まであがって、彼女に全く同じ事を言われたっけ、とふと思い出す。
 手術がないと聞いてほっとすると同時にどっと悲しくなってきた。そうか、こうして死んでしまうんだな、消えてしまうんだな、と思うと非常に切ない気持ちになった。

 まっすぐ帰る気になれず、モールで手当たり次第服を買う。独身時代にはショッピングでストレス発散、なんてあまりしたことはないのだけれど、このIVF期間中は夫も家にいなかったせいか、何を買うわけではなくてもモールの中を本当によく徘徊したなあ。そんなところが亡くなった母親そっくりになっていて苦笑する。

 モールの中を少しうろうろしているうちに段々気分が落ち着いてくる。食欲も全くなく、今日はまだ何も食べていなかったのだけど、何か食べようかな、という気にもなってきた。子供づれの親子、マタニティーショップやベビーショップを見ては少し悲しくなるものの、又きっと戻ってくるから、と自分に言い聞かせる。
 家に帰ってご飯も食べ、友達と電話で話したりしているうちに笑ったりして、気分がとてもポジティブになる。なるべく次サイクルのことを考えるようにする。そうでもしないとβが下がったことに気が向いて悲しくなってどうしようもなくなってしまうからだ。ネットで凍結胚サイクルの手順などを読みあさる。

 又、今日はRubyさんとみどりさんの判定日。是非いい結果が出ますように!と念じながらPCを開ける。みどりさんは残念な結果になってしまったが、Rubyさんはβが低いながらも陽性反応が出たそうだ!
 本当にIVFは心身ともにストレスが溜まる。経験してみてつくづく思い知った。お二人ともまずは本当にお疲れ様でした、と心から思う。
 

 
October 06, 2007 (Day 64)
 又パソコンを抱えながらカウチで寝てしまってあちゃー・・・と午前4時ごろ目がさめる。トイレに行くと、何だか通常の生理の始まりどおりに一定の増量で出血しているようだ。
 又二度寝して起きると8時過ぎなんだけど、どうにもこうにも体がかったるい。同じように夫がいなくてもIVFサイクルは夢があって、妊娠のため!と朝からてきぱきしていたけれど、モチベーションがどうも低い。犬に餌だけ出して、再びゴロゴロする。

 いや、やっぱりこんなのイカンだろうと思いなおしてシャワーを浴びようとしてびっくりした。ナプキンの上に塊。生理時によくある血の塊だけではなく、今まで見たことのない、親指の第一関節以上はあるゼリーのような大きな塊。もしかして、と思うとへたり込み泣きだしてしまった。そうであっても、そうでなくてもそれをそのままナプキンに包んで捨てる気にはなれず、キッチンペーパーで包む。何か一緒に埋められるものを、と思ったのだけどいい考えが思い浮かばず、夫の愛用している香水と私の香水を少しずつ吹きかけてやる。裏庭の家の近くの日当たりのいいところに穴を掘り、埋めてやる。

 そういえば、以前あった、朝起き掛けの吐き気が一切なくなっていた事に気づく。こうして区切りがつけられていくのかな、とふと思った。彼が答えられるのかどうか分からないけれどもしも、と思い夫の電話にテキストメッセージを送る。かなり電波が悪いながらも今までの話をすると、夫もショックだったようだ。5分ほど話して、もう行かなくてはならないのと、部下と離れて少し一人で泣きたい、ということで電話を切る。
 埋めたところに何か可愛らしい花を買って来ようと思う。気分が明るくなるように家の中にも飾れるように買ってこようと思う。

 日記では今日はday64にしているけれど、月曜日にβを再度計ってその時に5以下になっていたら、それでこのサイクルは終わりにしようと思う。

//////////////////

 パウダー・ピンクのカーネーションとひまわりを買ってくる。カーネーションの淡い色は優しい気持ちに、ひまわりは元気が出てくるような気がする。
 妊娠検査薬でフライングしてがっかりし、1回目の血液検査の陽性で希望を持ち、2回目の検査で舞い上がり、3回目の検査で希望が確かになったような気持ちになり、出血に不安になって4回目の検査で落胆し、5回目の検査で事実を受け入れてようやく落ち着いたと思ったら、最後の最後の今日で思いもかけないものを目にしたものの、やっとこれで区切りがついて少し気分が本当に落ち着いたように思う。

 早速凍結サイクルってどんな感じだろう?と色々と検索している。
 そういえばDr. Weitzmanはもうエクセサイズをはじめてもいいと言っていたけれど、プールに戻るのは(今回はタンポンを使いたくないので)もう少し先になりそう。

October 07, 2007 (Day 65)
 まだ出血/生理が続いている。2日目の量が100とするなら65-75くらいの量。当分買いに行くことがありませんように、と昔(といっても1ヶ月前ですが)祈って最低限しかストックしていなかった手持ちのナプキンもついになくなり、買いに出る羽目に。
 そういえばシャワーを浴びた時に腰がかゆくなってきたので何だろうとおもって触ってみたら、プロジェステロン注射をしたスポット。左右交互に注射をしていたのだけれど、その2箇所がシャワーで温まるとかぶれて痒い。何でよりによって今?

 私のバイクに興味を持っている人がいるよ、と電話が来た。この話がまとまるかどうかは分からないけれど、まとまれば少しは次のIVFの足しになる。本当にIVF高い。

 ふと思ったのだけれど、こうしてIVFサイクルが終わったばかりだというのにもう次のサイクルのことを考えている。純粋に次に進みたい、という気持ちなのは確かだけれど、どこかでこの苦しみから逃れたい、IVF期間中の「確実に前に進んでいる」という感覚が忘れられないのでは?とも考えてみる。

 一方で時間が経てば経つほど、次の凍結サイクルについて決めかねているのにも気づく。肉体的な負担は厭わないのだけれど、同じような辛い結果を繰り返すのに精神的に耐えられるのか自信がない。二度目のほうが、回数を重ねればもっと傷つくのではないか、とビクビクしてしまう。

 凍結サイクルの時期も決めかねている。夫のアフガニスタン行きが早まったこと、この状態を早く打破したいこともあって1サイクルでも無駄にしたくないのだけれど、戸惑っているのと1サイクルはホルモンを抜いて休憩したほうがいいのか、などなど。日本での治療は最低でも1サイクルは休ませるらしいのだけれど私のDrを始め、アメリカでは医学的に問題なし、とみなしてすぐにでも始めるケースも多いらしい。

 次サイクルにあたって、今回の原因が何だったのか考えると止まらない。単なるありがちな受精卵の染色体異常だったのか、私のほうで受精卵を育てられない可能性でもあるのか、それとも他に何かあるのか。単なる受精卵異常だった場合、一番クオリティーの高い胚盤胞を移植したのに凍結したものはやはりそれよりはグレードが落ちる結果になる、しかも一度凍結のダメージにもさらされているので妊娠の可能井はより低くなってしまうのではないだろうか・・・など。文字通り悶々とするなあ。

 NFCでの数字を見ると、35歳以下、2004年のフレッシュサイクルでの妊娠率は43.3%。出生率は37.2%。凍結サイクルでの出生率はぐっと下がって27.8%。2005年のフレッシュサイクルでの妊娠率は45.3%、出生率は39%。凍結サイクルでの出生率は37.5%。
 ということは2004年に(推定で)流産してしまったのは全体の6.1%、2005年は6.3%。この数字は大きいのか小さいのか・・・、うーん。
 気になるのが凍結サイクルでの成功率がこの2年間で10%上がっていること。何か技術的に新しいものを導入した結果なのか、単純に母数が少ないことによる数字のズレなのか。(2004年の凍結サイクル数は54、2005年は48。)

 それから日本の病院では凍結する際に「ガラス化」という技術を使い、非常に融解成功率も高いようなのだけれど、ここではどうなのだろうか。折角胚盤胞まで育ったのに解凍する時に壊れてしまうのもなあ。 

 明日は血液検査なのでナースにその辺を聞いてみようと思う。Laurenは今年の2月からだから数字の辺りは知らないかもしれないなあ。何だか細かくてちまちました嫌な患者になっているかしら、私。

October 08, 2007 (Day 66)
 病院にβの検査に行く時はいつも緊張するし、少し憂鬱だ。
 いつものようにさっさと検査をすませて、Laurenに昨日色々と思った疑問について聞いてみようとするも、彼女は別の患者さんの診察が始まってしまったようなので、他のIVFナースをアレンジされる。

 臨時で私の質問に答えてくれるMartha(IVF Nurse)に、次の凍結サイクルは具体的に何月ごろになるのか聞いてみる。NFCのポリシーでは、流産を含めた生理を1回、ノーマルな生理をさらに1回見送って、3サイクル目はピルをとり、4サイクル目はLupronをとりながら排卵日をみてETするのだそうだ。
 一瞬え、そんなに待たされるの!?と驚きのあまり言葉を失う。てっきり、遅くても1周期休みをおいて2サイクル目には出来ると思っていたので。しかもピルにLupron?それではまるで通常のIVFサイクルと刺激注射がない以外は全く一緒ではないか。

 彼女に夫がいなくなる前に凍結サイクルをしたいのだけれど、直前はどうしても避けたいので余裕を持って早めに始められないだろうかと聞いてみる。彼女は一応Drにお伺いはたてるけれど、期待は出来ない、と言っていた。ご主人がいなくても出来るのよ、とさらりといわれたので我ながら大人気ないと思いつつ、少しむっときてこういうことにはEmotional Supportが必要なんです、と返す。

 しかも運の悪いことにカレンダーを見て、12月5日から実質上クリニックは休みになるので、その前にサイクルを始めるのは無理ねえとのこと、ということは来年スタート? 
 現在の予定では3月半ばに夫はアフガニスタンに向かう予定になっている。今度は1年半近く帰ってこないので、そんな大切な時期にIVFのホルモン漬けで感情的になりやすい状況、結果をめぐってピリピリしたりする状況なんて一番避けたい。それよりもリラックスしていい時間をすごして送り出すのが私の最低限の仕事のはず・・・。

 暫くしてMarthaから今日のβについても連絡を受ける。「残念だけど・・・」と前置きがあり、17だと聞かされる。金曜日から半分も下がっていない。それってどういうこと何だろうと思い質問すると、子宮外妊娠の可能性があるかもしれないわね、と告げられる。移植した2つの胚盤胞の1つは体外へと出てしまったものの、もう1つは卵管などにいるのではないかと言う話。
 文字通りがーん、とショックを受けたまま呆然としていると、畳み掛けるように、Drはやはり来年まで待つことにするみたいよ、とのこと。

 とりあえず家に帰り、子宮外妊娠についてリサーチしてみる。経産婦に比較的多く見られ、卵管にattachするのが9割以上。そのまま放置すると卵管が破裂するため、卵管を切除してとりのぞく・・・云々に頭が真っ白になる。
 元々夫の精子カウントが思わしくないのでIVFを選択した私達だけれど、私が(片方でも)卵管切除したら、自然妊娠なんてますます遠い話になってしまう。夫婦両サイドの問題からIVFしかない、と言われてしまったらそれはそれで非常に辛い。実際IVFに卵管は深く関係ないけれど、健康にあるものを取り去られるのはとても苦痛だ。

 もう自分で感情がコントロールできなくなり、かなり激しく泣き始める。見ているか分からないけれどとりあえず夫の携帯電話にテキストメッセージを送ると折り返しすぐに電話が来た。状況を説明していると又辛さがぶり返してきてひたすら泣く。夫が何度も帰ろうか?と聞いてくれたのだけれど、それは要らない、今はとても辛いけれど時間さえ経てば気持ちも落ち着くから、と答える。

 ローラーコースターみたいじゃないか、と以前例えたことがあったけれど、上がらないで下がっていくなんてむしろフリー・フォールのように思える。もうこれでこれ以上傷つかないですむね、と安心した瞬間、ドンと突き落とされる、そんな感じ。

 夫からの電話を切った後、友人から電話が。バイクを売る相談をよくしていた友人で彼らとは家族ぐるみの付き合い。私達の状況は全部知っている。「声が変だけど大丈夫?」と優しく声をかけられて運転できるようだったら家においで、と招待される。私も一人でいるのはよくないな、と思い、言葉に甘えてさっそくお邪魔させてもらう。
 
 彼女も以前流産をした経験があり、色々と話をする。彼女も数日間家に引きこもって夫とも話す気になれなかったことなどと訥々と話す。彼女と話していくうちに気持ちが大分楽になる。タイムラインを気にしちゃダメよ、余計ストレス溜まるから。それから男性は女性とは違った形で感情を表したり傷ついたりするから、元気になったら夫のことをケアしてあげるのよ、と言われたのが中でも印象的だった。絶対に諦めちゃダメ、私も祈っているから、と言われ、踏ん切りがつく。

 何だかつき物が落ちたように晴れ晴れとした気持ちに。



 帰り際、夫から再度連絡が入る。もう私は大丈夫、心配してくれてありがとう、と伝えたところ何と彼はもう上官から許可をもらい、帰る支度をしているという。びっくりして本当にその必要はないから、と何度も説明した後、彼も非常に辛かったし、このままではトレーニングに集中できない。あのまま私を置いて出てしまったことをとても後悔しているから、きちんとお互いの痛みを向き合ってシェアする時間を持った上で、又仕事に戻りたい、と説明された。
 上官も同じような経験があり、快諾してくれたそうだ。彼の奥さんに電話し、私がしなくてはならない手続きの手順などの説明を受ける。非常に気を遣ってもらい、とても救われた気持ちになる。手続きをしながら、日本人だからなのか、彼の仕事をこういう形で犠牲にしてしまうことに非常に罪悪感を覚える。

 この掲示板には又皆さんからすごく優しいメッセージをいただいて申し訳ない気持ちになる。残念な結果が出て辛いはずの人にまで心配をかけてしまっているなんてとても情けない。それでもこうしてメッセージをもらってとても嬉しいです。

 私は今回のIVF、妊娠にまつわることを半ば自分の事のように考えて、自分さえ何とか乗り切れば大丈夫、夫は助けてくれる人、だと思っていたのだけれど、それは勘違いだったのかもしれないとふと思う。このことは夫婦共通の事で、私が辛いことは夫も辛かった。私が助けが必要だったように夫も助けが今必要なのかもしれない。
 
October 09, 2007 (Day 67)
 昨日の夜、トレーニングを中止して帰って来る、と言い出した夫の手続きなどと色々と行う。
 今回は私の流産などによる精神的なサポートという理由で帰って来るのだけれど、ただ上官の許可をもらってはい終わり、ではなく、私の流産自体をRed Crossを通して認証してもらう手続きをとらなくてはいけない。
 
 昨日の夜10時過ぎごろ、教えられたとおり、Red Crossの担当の部署に電話をかけ、状況を説明する。現在通っている医療機関(NFC)と担当医(Dr. Weitzman)の名前、電話番号などを先方に言うと、Red Cross側でNFCに電話をし、確認をして軍に連絡が入ってくる。その時点で初めて夫は正式にリリースされることになる。

 軍関係は何かと非常に面倒なことが多い。例えば不妊治療で病院に行った際、夫は上官のオフィシャルな許可なしで診療を受けることが出来ない。 夫の精液に問題があると分かった時に、Dr. Weitzmanが、今度ご主人のチェックを、と言ってくれたのだけどそれも出来ず、お断りしたことがある。
 他には例をあげるとすると、ちょっと熱を出して地元の病院で、というのももちろん不可能。この一件理不尽なシステムは、名義上現役軍人の体は国に所属しているから、という考え方だと聞いたことがある。日本育ちの私には何だかしっくりこない考え方だけれど。

 日が改まって今日、NFCとコンタクトがとれないせいか、中々夫の許可が出ないらしい。Drは捕まえるのに一苦労のはず、だったら担当のLaurenに連絡を、と思い、Red CrossにLaurenの番号を追加する。彼女にも電話をしてヴォイス・メールに事情を説明する。とはいえ、私自身、手続きの流れを今ひとつよく分かっていなかったこともあり、説明は支離滅裂。

 彼女から1時間ほどで折り返し電話がかかってきて、説明がやはり分からなかったらしい。一応軍ではこういう流れになっているようです、と前置きをして話をすると、Red Crossには彼女から電話をしてくれるという。感謝。

 午後を少しまわって、夫から連絡が入る。何とか手続きが順調に終わったようで、今晩のフライトで帰って来るという。
Laurenに早速お礼の電話を入れる。


 体調は至って普通。プロジェステロン注射跡はかゆくてたまらないのでかゆみ止めのローションを塗っている。出血はまだまだ続いている。もうこれで1週間以上続いていることになる。私の生理は通常2-3日。(それも短いですよね)IVFで内膜を沢山育てたせいなのかな・・・。

 



 夫が帰って来るにあたって、正直複雑な気持ちがあった。
 私はもう立ち直りかけているので、夫を見て又感情が緩むんじゃないかという恐れがあった。一人で何とかするしかない状況におかれたら、辛いことは辛いけれど、他に選択肢がないのだから、何とか頑張りきることは出来る。夫がイラクに行っていた1年間もそうして過ごしてきたし。頼ることが出来る人が側にいると、逆に頼ってしまって当然だと思ったり、「辛い自分に甘えたり」するんじゃないかと考えたりした。

 又、夫の仕事をこういった形で遮ることにすごく罪の意識があった。今受けているトレーニングはイラク/アフガニスタンに行く兵士には必須のトレーニングで、これを受けないと次に進むことが出来ない。
 それから日本人は仕事中にプライベートを持ち込まないせいか、それで悪いことをしたなあという気持ちがある。(アメリカ人は仕事中によく奥さんなどとさして緊急でも何でもない話を携帯などでよくしているような気がする)

 ぐるぐる考えたのだけど、やはり夫は私だけのためではなく、彼のためにも帰って来るのだ、と思うようにした。昨日の日記にも書いたのだけれど、夫は今回のIVF,流産などを夫婦共通の問題として私と同じ温度で考えてくれていたのだと思う。だから彼自身にも時間やケアが必要なのだと思うし、それが今なのだと思う。

 何だかのろけっぽくなってしまって済みません。これから空港に迎えにいってきます。
Oct 11
 夫が帰って来て、何をするわけでもなく、非常に静かな時間を過ごしています。一人で大丈夫、なんて思ったりもした私ですが、こうして二人で健全な回復をしていくことは、後々、長い目で見てよかったといえるのだと思います。

 明日は又βのチェックがあります。下がっていますように・・・。

 掲示板、IVFに関係ない話題でも何でもOKです。気軽におしゃべりしましょう。
October 12, 2007 (Day 70) サイクル終了
 βは基準値(5)以下に下がったとだけ聞きました。
 子宮外妊娠の事で色々とパニックになったりしてご心配をおかけしました。

 パニックになったものの、最終的に赤ちゃんが授かれるのなら、何でも甘んじて受けるくらいの覚悟がないとダメかな、と考え直したりもしました。

 これでOfficially、今サイクルが終わりました。
 結果的には今サイクルは成功しなかったのですが、得るものの非常に多かったサイクルだったと思います。特にこのサイトで色々な人と励ましあえたのは本当に大きな収穫でした。 

 片がついてすっきりした部分もありますが、70日間のサイクルが終わったのだな、という感慨深さもあります。

 ナースに次サイクルは来年で、という話をしているのですが、もし数ヵ月後に再度フレッシュサイクルをすることは出来るか問い合わせているところです。
 夫がアフガニスタンに行く直前にサイクルをするのは確かに避けたいのですが、それでも残り少ない時間に誘発剤で何かと負担の多いフレッシュサイクルを今度こそ二人でシェア出来たら、という気持ちでいます。(とはいえ、ミリタリーなのでいきなり予定外にどこかに行かされる事は幾らでもあるのですが)

 改めてこの辺はきちんと又updateしようかと考えています。(そうそう、医療費のまとめ、過去のIUIやメンタルな話なども)
 まずはご報告まで・・・

 掲示板でのおしゃべり、引き続きお待ちしております。


 
<<Sep 18 (Day 46)- Oct 02 (Day 60) Oct 14 (Between Cycles) - >>