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September 03, 2007 (Day 31)
 部屋を片付けていたら私の母が私のためにつけていた母子手帳が出てきた。妊娠のプロセスの一つ一つから書き込まれていて、じっくり読みふけってしまった。このIVFが成功したらこういう風に私も記録をつけていくのだろうか・・・と思うと少し不思議な感じ。
 強く妊娠したいと思っても、がっかりしたことが多すぎて慣れすぎてしまい、ピンとこなくなっているのかな。

 明日は血液検査と超音波検査の日。本当に薬がちゃんと効いて卵をいっぱい作っているだろうか。こればっかりは見えないので気になるなあ。
September 04, 2007 (Day 32)
 今日は血液検査(E2値)と超音波検査。
 ちゃんと体が薬に反応しているのか結構ナーバス。超音波の技師から、今日はまだ最初のチェックだからそんなに期待したり緊張しなくていいのよ、と言われる。右の卵巣には5-10個程度、左の卵巣には7-10個の卵胞らしきものが見えるとの事でほっとした。
 Laurenと話をする機会があったので副作用について質問など。spottingがあることは問題ではなく、あまり頭痛がひどいようだったらTylenolをとって構わないそうだ。
 
 病院のあとは鍼治療に寄る。今までとは違うポイントにさしているのは時期が近いからなのかしら。
 本来だったら移植の直後ベッドで休んでいる時に鍼が打てるようだったら効果が高いんだそうだ。その話は私もきいたことがあるような気がする。

 家に帰るとLaurenから今日のE2値のテスト結果が。今回は特にコメントなしだったので結果の347が高いのか低いのかさっぱり分からない・・・。とりあえず今後とも今と同じ量の注射を続行することになったということは少なくとも悪くないのだと思う。
 困ったのが今更になって夫のpower of attorney(委任状)が必要とか言われても…。あらかじめ彼女には夫がいないことも伝えた上で全ての書類処理をしたはずだったのに、後からあれもこれも、と言われてもどうしようもないし。そもそも夫の精子を冷凍した時に、私が自由にしてよい旨の書類にサインしたはずだし、IUIも委任状なしで行っているはずだけれど・・・と彼女のヴォイス・メールにメッセージを残す。

 夕方過ぎから副作用の頭痛が本当に酷くなって閉口する。出来ることなら薬をつかうことは避けたかったものの、何も出来ないほど頭痛が酷くなり、我慢できずTylenolを買いに薬局へ。
 下痢止めもどうしても耐えられなかったら取っていいと言われたので、とりあえずはお守りとして買っておく。しばらくはheating padで乗り切りたいもの・・・。

 金曜日が次の診療日。金曜日にはERのスケジュールも分かっているのかと思うと時間の経つ早さにびっくりする。ホントIVFサイクルって始まってしまうとあっという間。
September 05, 2007 (Day 33)
副作用の頭痛と腹痛(卵巣痛)が余りにも酷くて1日何も出来ず。数度床に倒れてうめくほど。これでは埒があかないと思い、tylenolを服用。下痢も余りにも酷いので買っておいたimodiumも服用。
 それにしても床に一人倒れ伏していると痛みもさることながら床の冷たさに一人って辛いな、と改めて感じる。夫が一緒にいたからといって痛みを物理的にどうにかできるわけでもないのだけど。痛いときに誰かに痛いよう、と泣きつけないのはそれはそれでやっかいだ。
 その他の副作用は、体が風邪をひいたようにぼんやりとして温度調節が微妙に出来ていない。ぼーっとして平衡感覚が薄い。下腹部が膨れてきたような気がする。体重は(下痢のため)減り続けているのに。
 emotional swingingは比較的ない。強いて言えば体が思い通りに動かないのでそれに対してイライラするくらいだ。外に出た方がいいのかもしれないけど、場合によっては車の運転は避けた方がいいかもしれない。(とは言っても車を運転しないとどこにも行けないのですが。)

 そういえば正午ごろPOA(Power of Attorney)の件でreminder callを入れたものの、Laurenから今日も連絡がなし。渡米直後だったらカリカリきてしまうだろうけどもうこういうことに慣れてしまった。明日辺り再度電話してみよう。今更出せないものは出せません!(笑)

 クローゼットの整理を少しする。もう少ししたら衣替えの準備をしなくては。痩せる前の服は処分して、もっと前の(渡米した頃の)痩せていた時の服は取っておく。
 現在休学しているオンラインの学校に連絡をいれ、後どの位休めるのか聞いてみる。妊娠して落ち着いたら再開したいなあ。

 そういえば昨日Wild Oatsでグリセリン入りのローズウォーターを買った。アメリカでは保湿を目的とした化粧水、というのは余りメジャーではなく(tonerはあるけれど)ローションと言えば、どれも乳液状。それでもどうしても化粧水を使いたいので検索したところ、どうやらグリセリンで化粧水が自作できるらしい。
 そこで便利なグリセリン入りローズウォーターを見つけたのだけど、どうももう少し保湿成分が欲しい。だったらもう少しグリセリンを足してみようか、ということで一緒にベジタブル・グリセリンを買ったのだった。
 あー、うちの近所にもWalMartだけじゃなくてこういうオーガニック系スーパーストア欲しい・・・。

 そうそう、スキンケアと言えば。E2が高くなるにつれ、お肌がキレイになる、ときらさんの掲示板で見たのですが、どういうわけだかにきびが増えています、私。ええーーー。

 夫からは1日15分程度だけれど毎日電話がある。ものすごく忙しくて試験のプレッシャーにも追われているだろうに、非常に彼はいい聞き手だ。決して利いたことが言えるタイプではないけれど、心の支えになっている。後3週間後にはもう結果が出ているんだねえ、という話をしたら結果がどうでるか分からないことを考えると正直怖い、と言っていた。今まで私を援護するためか大丈夫、大丈夫と言い続けていたのに。私だけではなくて夫も怖いのだ、と思うと何故か少しほっとした。

 
September 06, 2007 (Day 34)
 朝起きてぎょっとした。昨日の夜に注射した後、薬を冷蔵庫にしまわないままだったのだ。薬の説明書には最高でも77F(摂氏25度)、と表示が出ている。Laurenに電話して大丈夫なのか確認をする。すぐに折り返し電話があり、大丈夫との事でほっとする。しかしPOAの件は相変わらず必要らしい、とだけ言われた。どうしても、というのなら明日の検診時に担当者と話をしたい、と申し出ると快諾してくれた。
 夫が帰って来るのが12日なので13日以降にERだったら委任状自体必要ではなくなるのでは、と話したところ、それはいいニュースだわ!何はともあれ今の時期は安心して、リラック、スしてねと繰り返し言われた。ということは最悪ERは13日以降になるのだろうか。本来渡された予定表が10日だったので、延長になったら卵巣がが勝手に排卵してしまったりとか、卵子自体が古くなったりしないのだろうかとか根拠もなく心配してしまう。ま、基本的にバカバカしい心配なのだとは思うけれど。

 今日は昨日ほどではないものの、副作用の症状にやっぱり悩まされる。午前中はよかったのだけれど、午後から頭痛と車酔いのようなとらえどころのない気分の悪さ、排卵痛のような腹痛がずっと続く。
 ただ下痢だけは昨日一度薬をとっただけでぴたっと止まって嬉しい。

 友人家族が今日はオフだというので彼らの家に出かける。四方山話をしていると共通の知人がここ1ヶ月の間に2人も妊娠したらしい。おめでとう!とは言ったものの、心のどこかで私は・・・と少し微妙な気持ちに・・・。ああ嫌なやつだなあ、私。少しして、奥さんが私に会いにわざわざ仕事を抜けてきてくれた。彼らの赤ちゃんは2ヶ月になったばかり。抱っこするとにこっと笑いかける様が非常に可愛い!どんなに頭痛があろうとも、赤ちゃん、子供を見るとモチベーションが上がるなあ。
 
 家に帰ると日本人の友人から日本のお惣菜が届けられていて本当に嬉しい!彼女は私の不妊治療の事をとても理解してくれて、非常に気を遣ってくれる。IVF中は気分的に余り社交的になれないものの、彼女とはよく電話をしたり、非常に助けられている。
 このサイトで励ましてくれる人たちを始め、こういう良い友人、夫に恵まれて私は本当にラッキーで幸せものなのだと思う。

 いよいよ明日が二度目の超音波と血液検査。いよいよ採卵などの予定がはっきりするのかと思うとドキドキする。
September 07, 2007 (Day 35)
 今日は二度目の血液検査・超音波診断。片道1時間ちょっと運転するのがが今になってやや辛いかも。
 薬の残量を計算したらどうも月曜までギリギリ持つかどうかの量だったのであらかじめLaurenにメッセージを入れておく。
 カートリッジに少し薬が残っているのが幾つかあるのでそれを吸い出して集め、再度注射できるようにしてくれるとの事だったので、小さなアイスボックスに保冷剤を詰め、持って行っていたのだ。それでも足りないかもしれないとの事だったのでサンプル用のFollitsimを2箱くれた。ちなみに買ったものと全く一緒。1箱450ドル近くしたはず・・・、おおお、Laurenありがとう!

 卵胞チェックは右も左も大豊作だったらしく、10mm以上のものが両方に8個以上。大きいものは20mm近く。小さなものも併せると計20個近くになるらしい。ナースが超音波検査をして、彼女が読み上げた数、大きさなどを自分でお腹の上にボードを置いて記録するのだけれど、記録用紙の記入欄がなくなって余白に書き込むほど。Laurenもいいわよ!すごいわね!と嬉しそう。数があるのは嬉しいのだけれど、数が増えると質がやや落ちるのでは、と心配。多いのはいい事だけれどOHSSの可能性に気をつけたほうがいいかもしれないわね、と注意を受ける。まだERの日程などはちょっと分からないらしい。

 NFCの診断と鍼治療が3時間ほど空いていたのだけれど、もう少し前にずらせないか電話したところ、丁度キャンセルが出たばかりだとか!ああ、今日はとてもラッキーだなあ!

 帰り道でヴォイス・メールをチェックしたところ、今日のE2値は1940ほど。ちょっと高いので明日にも再度血液検査と超音波をチェックしましょう、とのことだった。うーん、今日の値は2000くらいじゃない、と事前に聞かされていたのまあまあの値のはず。5000を超えていたら明日もチェックが必要かもね、と言われていなのに・・・あれー?

 ちなみに、私のお腹はやっぱりかえるのようにぽっこりしています。スカートのジッパーも微妙に閉まりづらくなっているかも。

 夫と電話で話す機会があったので、今日の結果や委任状の話など。沢山の卵子には嬉しそうだったけど、体調第一だから塩分を余りとらないようにね、などとアドバイスを受ける。
 しかし、彼が3回もIn-N-Out Burger(注意:音が出ます)に行っていたらしい!(In-N-Out:CA、AZ、NVにあるハンバーガー店。ジャガイモをその場でカットしてフレンチフライを作ったり、とフレッシュさが売り。)羨ましい〜。ハンバーガーを食べたいな、と思っていたのにIn-N-Outの前では形無し。ちょっと悔しいのでバーガーつながりでHarold and Kumar go to White Castleを見る。もう10回近く見ているのにやっぱり笑ってしまう。
September 08, 2007 (Day 36)
 昨晩は非常に寝つきが悪かったのか、腹痛と気分の悪さで何度か目が覚める。朝8時半のアポイントメントなので7時15分に急ぎ足で注射を2本、家を出る。土曜の朝の道路はちょっと快適。と思ったら道々それなりにスピード違反で捕まっているようで。

 いつもどおり血液検査して超音波検査で技師待ち。下半身裸で心もとないまま待つのだけれど、今日は余り眠れなかったのと早朝なので、台の上で眠りこけてしまった。今日は土曜なのでいつもの技師でもなくDr. Hill。彼はこの病院のMedical Director。今まで廊下ですれ違ったりしたことはあるものの、診察は初めて。卵胞の様子を見ながら、もう少し成長させた方がいいね、とのこと.。私の担当はDr. Weitzmanなのだけれど、彼の診察も非常に丁寧。患者にもモニターを見せて説明してくれる。Dr.達の診察で思うのは、小さなことでもいちいち言葉をかけてくれること。はい、触りますよ、とかスティックが入りますよ、とか。不用意に扱われるよりはこういう一つ一つの小さなコミュニケーションは不安を解消すると思う。うーん、彼らが男性だろうか?
 E2レベルの上昇率が非常に早いので少し薬を減らすかもしれませんとのことだった。ラボの検査が出次第、ヴォイス・メールにメッセージをくれるとの事だった。

 家に帰ると犬達が部屋の中で色々といたずらをしていたらしい。勘弁してくださいよと思いつつ、とりあえず片付ける。ドッと疲れてカウチでどっと倒れて一眠り。正午ごろヴォイスメールでDr. Hillのメッセージを聞く。今日のE2レベルは2609。今まで朝に225IU、夕方に150IUだったのだけれど、今後は朝夕一律150IUにして月曜の朝にもう一度様子を見ましょう、ということだった。

 それにしてもDr. Hill、かなり南部アクセントが強い。経歴を見るとずっとテネシー州で仕事をしていたせいかしら。CAからきた時はこの南部アクセントには結構困ったものの、夫のイラク派兵中に大分慣れました。
 アメリカ人とも以前話していて不思議だよねえと言う結論に至ったのが、日本の方言とアメリカの方言。日本はアメリカに比べると小さい国なのに地方によっては方言で本当に全く別言語といっていいほど言葉が違ってしまうのに対して、アメリカは聞き取りにやや難はあるものの、そこまで極端には言葉が変わってしまうわけではないこと。その場では、交通の便、流通の違いなのかなあという適当な結論に至ったのですが、どうなんでしょう。

 午後からとても気分が悪くなる。犬達にものすごいせっつかれてかろうじて犬の散歩にはでかけたものの、例によって例のごとく車酔いのような気分の悪さをベースに頭痛と腹痛コンボでひたすら横に。
 来週末は五嶋みどりのチャイコフスキーのコンサートがNashvilleであるから是非行きたかったのにERの予定も定まらずチケットがとれない・・・。多分見送りでしょう、ま、今のプライオリティーはIVFだからしょうがないのかな。

September 09, 2007 (Day 37)
 今日は比較的副作用が軽めだったような気がする。相変わらず気分は優れなかったのだけど。150IUに減ったせいか、単なる気のせいか。

 そういえば昨日は排卵前のようなおりものがあったのだけど、今日はなし。うっかり排卵しちゃったらどうしよう、何て勝手にドキドキしていたのだけれどほっとする。
 
 明日もNFCで血液検査と超音波検査。そろそろ待つのもちょっとじれったくなってきたので採卵日が決まって欲しいなあ。ちなみに血液検査と超音波検査、保険でカバーされないので一回当たり240ドルかかっています。痛い。

 ちょっとお腹がまた緩くなってきたので薬は飲まず、パッドを下腹部に貼る。パッドといってもいわゆる日本で言う使い捨てカイロにテープが付いたもの。そのまんま貼るホッカイロのようなものです。
 この前まで100F(摂氏37.7度)以上あった最高気温も今では80-85F(摂氏26.6-29.4度)。秋の空が高くていわし雲が見えます。本当に時の過ぎるのはあっという間ですが、IVF周期はそれが更に早く感じられるような気がするのです。
September 10, 2007 (Day 38)
 今朝は中西部〜南部、この季節特有の激しい雷雨。フリーウェイを運転しているとあっという間に視界が道路にたたきつけられる雨粒と他の車が巻き上げる水煙で分からなくなり、ライトをつけスピードを大分落として様子を見るハメに。これがETやERの日には起きて欲しくないなあ。

 血液検査も超音波検査も4回目になるとテクニシャン・ナースに「毎日会っているような気がするんだけど日程がまだ決まらないんですよ」とこぼしてみたり。土曜日に比べて卵胞はやや成長しているような。20ミリ超えしているのも増えてきました。全体的に15ミリ以上のものが中心みたい。

 今日は調子がよくてまっすぐ帰る気にもなれず、Frist Museumに明・清代の中国絵画の展示があるということだったので立ち寄ってみる。ここは美術館の建物自体が私の非常に好きなテイストで落ち着く。展示自体は割と多岐に渡っていて興味深かった。私が好きな院体画花鳥画がもっとあったらよかったのだけど、山水画が多かったように思う。中国系の人名は漢字で把握しているので、英語で中国語の発音そのままだと誰が誰だか分からないなあ。どちらにせよ、Nashvilleで東洋絵画の展示があるだけでも貴重な機会だったと思う。

 午後4時前にVoice Mailを確認したところ、スケジュールがついに決まったらしい。採卵日(ER)はあさっての12日水曜日に決まった。今晩9時半きっかりにhCG注射を二本打ち、明日(11日)、最後の血液検査でのE2値をチェック、あさって12日に7時半に来院して8時半から採卵手術とのことだった。
 色々な確認もあり、Laurenに折り返し電話したところ、本当は彼女も夫が立ち会える13日木曜日にしたかったのだけど、E2が5620まで上がったため、もうこれ以上待たないほうがいいだろうという諸先生の判断だったとのこと。彼女から水をいっぱい飲むことと、たんぱく質ものを取るようにとの指示を受け、又、改めてしつこくLaurenに注射や諸注意など再確認する。

 いよいよかと思うと何だか興奮してきたので試験も終わって気も楽になった夫とくだらない話を電話でして気を静める。
 9時30分きっかりにhCG二本を注射。ふー、これで明日は注射なしかと思うとちょっと嬉しい。お腹じゅうぶつぶつと針の穴とあざだらけ。

 水曜の朝6時15分に友人に迎えに来てもらう手はずを整えてひと段落。片っ端から他のIVFサイトさんの採卵関係の経験談を読み直す。うードキドキします。
 
September 11, 2007 (Day 39)
 今日で9.11から早6年目。先月Ground Zeroを訪ねた時のdepressingな気持ちを思い出す。


 LAほどの通勤ラッシュではないにしても、朝のナッシュビルに入るフリーウェイはやはり渋滞するのか。今日の時点で分かってよかったかも。
 
 今日は沢山の人にGood Luck!と言われたいい日だった。
 最後のE2(エストラジオール)値血液検査と採卵手術直前の確認打ち合わせなど。採血担当のナースに、今度はプロジェステロン値の血液検査で戻ってくるわね、Good Luck!に始まり、私のIVFナースのLaurenも、今までの数字が本当にいいからうまくいくわよ、と励まされたり。渡された採卵からのプロトコルでは明日の採卵手術はDr. Eblenが担当するらしい。彼女も評判のいい先生の一人なので楽しみ。
 採卵後、5日目まで受精卵が生き残って分割しているようだったら17日の月曜日に前回チェックしたDr. Hillが移植(ET)を担当するらしい。 採卵後は性交は1-2日控え、ET後の絶対安静期間は厳禁とのこと。ET後、数度にわたって血液検査でプロジェステロン値を調べたり、妊娠判定をするそうだ。
 ああ、きっと長くて気を揉む2週間になるんだろうな・・・。刺激注射が始まってからは本当にあっという間だったもの。

 打ち合わせが終わってエレベーターに乗るときにセンスのいい服装の女性と一緒になったのでちょっと話をしたら、彼女はここ(NFC)に転院してきて一度で妊娠したのだとか。だから期待していいわよ!Good Luck!とのことだった。ちょっと幸運をおすそ分けしてもらったような気持ち。

 その後は急いで鍼治療に。いつもはリラックスして、セッションの最後の方は眠ってしまうのだけど、今日は興奮しているせいか次から次へと頭の中で色々と渦巻いちゃってダメ。鍼の先生のSteveに、本当はETの直後に鍼を打つと効果が高いので施術したいんだけど、そうもいかないのでET当日に早めに開院するから、来てねとのことだった。いつも10時に開くのだけど、わざわざそのためだけに8時に開けてくれるそうだ、とてもラッキー!
 
 鍼治療の帰りに廊下でばったり顔見知りの女性とすれ違う。彼女とはNFCの卒業生との会食で会った女性。彼女も妊娠したくて長い間頑張っているって言ってたっけ。嬉しいことに彼女は私の名前まで覚えててくれて(アメリカ人には非常に発音しにくい名前なのに)お互いGood Luck!と言葉をかけあって別れた。

 余り適切な例ではないのかもしれないけれど、私の母親が乳がんになった時、同じ乳がん患者の人とばかり交流していたのを、少し不思議な気持ちで見ていたことを思い出した。今となっては非常によく分かる気がする。同じような苦労をしてきて、同じような経験をしてきた同士に芽生える連帯感、安心感のようなもの。
 以前読んだNurturing Yourself Through IVFにも全く同じようなことが書いてあった。例え夫であっても理解できない心情、心の壁みたいなものがインターネットの掲示板に集う同じような境遇でIVFを経験する女性達とは顔を見たわけではないのにbond(結びつき)をすぐに感じたそうだ。今となっては非常にその気持ちが分かるような気がする。

 勿論私のことを励ましてくれる家族などの色んな人たちにもすごく支えられてここまで来たと思う。どんなに忙しくても夫は毎日のように電話をくれて耳を傾けてくれたし、友達も頻繁に電話やメッセージをくれたり。そしてネットで知り合った人達も言わずもがなだ。
 最初、一人でIVFなんて・・・と落ち込んでいたけれど、いろんな人に支えられてここまで来れた事は本当にラッキーで感謝するべきことなんだと思う。

 採卵を終えてしまえば肉体的に大変なピークは超えることになる。色々心配は尽きないけれど(はい、今でも事前に排卵しちゃったらどうしよう〜とか勝手にドキドキしています。)、今は結構ポジティブな気持ちなのでそのままいい結果につながればいいな、と思う。

 そうそう、今日のE2値は6592。OHSS(卵巣過剰刺激症候群)の可能性もあるから水分とたんぱく質を沢山取ってね、とLaurenからメッセージが。

 胸が張って張ってとても痛い。ちょっと歩いてもその振動が痛いのだ。張り具合は叶姉妹のようにまん丸です。
 Follistimは昨日の朝以来打っていないので副作用もなし。ああ、注射なしの日って素晴らしい!
 夜中の0時以降から絶食。ダメって言われると食べたくなりそうだ。しかもチートスとかジャンクフードが。
 
September 12, 2007 (Day 40)
 朝5時半に起床、すればよかったのだけどもちろん朝5時くらいにさっさと目が覚めてしまい、支度。6時50分には着いてしまい、ドアのソファーでひたすら待つ。スタッフが次々とやって来るんだけど、よっぽど楽しみにしている患者だと思われたんでしょうか、ちょっと恥ずかしい。

 7時半過ぎに名前や書類の確認を何度もする。同じ書類なんだけど、違った人が来て全く同じ説明をして一項目ずつ了承しているか確認してサインする。
 手術着に着替え、キャップも被る。結婚指輪も外すように指示を受ける。担当医のDr. Eblenが来て、体調はどう?と話をしつつ最終確認。

 ベッドに横になり、IV(点滴)の針が入る。看護婦が手の甲の血管を慎重に探してくれたので余り痛くなし。麻酔医から最初の薬が入れられる。薬のせいか、いきなりがくんと体がリラックスするのが分かる。体温が分かるサーモグラフィのシールを額に貼られる。額にシールって、子供かい!と意識が朦朧としながら笑ってしまう。
 ストレッチャーで手術室に送られ、手術台に上がってね、と言われ移動した瞬間、意識がぷっつり。

 目が覚めると服を着替えた準備室の中にまた戻っていた。鼻まわりに酸素チューブがついている。全く頭が朦朧とし足腰がたたない。麻酔医が来て、どう?と聞かれたのでぼんやりと「マルガリータを一気に二杯飲んだ後みたい・・・、や、3杯目かな?」と答えた気がする。

 トイレに行きたいというとナースが付き添ってIVを壁のフックに引っ掛けてくれたものの、よろけてしまって立ち上がるのも一苦労だった。
 
 卵は全部で21個取れたと聞いて嬉しさの余り、ナースとハグしあって喜ぶ。

 暫く横になっていると大分意識もしっかりしてきて、着替えもすませ、車椅子に乗せられて駐車場まで。帰りがけにバリウムと痛み止めの処方箋を渡される。帰りの車の中で、麻酔のせいか、猛烈なめまいと吐き気に襲われる。スーパーにあるドライブ・スルーの薬局コーナーに寄ってもらったのだけど、待ち時間が30分とか言われてぐったりとしたまま思いきりヘコむ。見たところ薬局には待っているお客さんはいないのに何故・・・。
 一番いいのは病院でそのまま薬をくれることなんだけど、保険のシステムの都合上そうもいかないんだろうな。

 そのまま家に帰り、泥のように眠る・・・といきたいところだったのだけど、余りの気分の悪さに悶々と。空腹なのが良くないのかと思って梅そうめんを食べてみるも、半分でギブ・アップ。

 暫くして夫が帰ってきたら、何とか普通の食事が食べられたので良かった、良かった。最初のプロジェステロンの注射を彼に頼む。手順は教えたものの、いきなり妻の腰に5センチ程ある針を全部差し込むなんて緊張したらしい。油性の薬のせいか、針はやや太く、やはり刺さる時は痛い。刺さってしまっても、全部注入するまでに少し時間もかかるし。でも、これで彼も実質上参加をしていることに。

 うー、後は卵が無事に受精してくれるのを待つしかない。
September 13, 2007 (Day41)
 朝起きて夫がいるのってちょっと不思議な感じ。や、夫婦なんだからヘンと思うのもヘンなのですが。

 出血も大分収まりました。トイレで拭いてもうっすら付かなくなったし。

 午前11時までには受精確認がヴォイス・メール・ボックスに入るわよ、と言われていたので恐る恐る午前10時ごろチェックしてみると新着メッセージが一件! ドキドキしながら夫と耳を聞く。

 採取できた卵は21個だけど、そのうち成熟しているのは16個。その16個にICSIをした中で受精したのは7個とのことだった。うーん、正直いって、21個というナンバーが頭にあったので、もうちょっとあるんじゃないかと期待していて正直ちょっとがっかり。特に今まで全て順調に行っていたので過剰な期待を持っていたのかも。7個もあるだけ感謝するべきなんだと思う。

 ただ、本来ICSIで受精するのは半分程度、と言われていたのだけれども、採卵したうちの半分なのか、成熟卵のうちの半分なのか聞いておけばよかったなあ。採卵したうちだったら3分の1だし、成熟卵だったら2分の1弱。うーん、本当は卵の質は良くないのではないかとか色々つまらない邪推してしまう。

 それでも私と夫の細胞から出来た赤ちゃんの素がこの世に存在すると考えると本当に大きな進歩だし、とても嬉しい。

 私達に出来ることは全てしたのだから後は卵たちを信じて待つしかないんだよね。家にいても仕方がないのでとりあえず夫と外に出る。軍関係で色々事務処理をしておかなければならないのがあったのでそのまま気が少しまぎれたかも。夫とウェブカムか何かでネットで卵を24時間チェック出来たらいいのにねえ、とかくだらない話をする。もしそんなことが出来たら1日PCに張り付きかねないのでそれはそれで不健康なのかも。
 
 ああ、一日中こうして待つのが本当に薄氷を踏む思い。今はまだ目で見える状態だからいいけれど、移植した後とかはかなり気にしてしまいそうだ。

 プロジェステロンの注射もまだまだ続きます、うー。
September 14, 2007 (Day 42)
 ETを終えてからの2晩、2時間おきにトイレで目が覚める。3-4回起きている計算になるんだけど、これって緊張しているからなのかしら?それともOHSSに気をつける余り水分を取りすぎている?だからって起きすぎな気が。

 朝8時半にembriologist(培養士)からの報告電話。本当に緊張する一瞬。もし分割がうまく行ってなかったら3日目に移植、つまり明日になるはず。そうでなくてもどうであっても7個全て生きているのか、分割がうまく行っているのかそれが一番知りたいところ。

 夫に電話をかけてもらい、スピーカーフォンで聞く。結果は「殆どの胚の成長はうまく成長しているので移植は予定通り5日目になります。では月曜日!」とのことだった!嬉しい!!夫と抱き合って大喜び。後になって冷静に考えてみれば、数については触れていなかったので後々ちょっと気にはなっていたんだけど。

 喜びもひとしおのまま、鍼治療でNashvilleに。鍼の先生のSteveに報告する。今日は前回よりはややリラックスして治療を受けられたと思う。夫も同席したのだけれど、初めて見たらしく、鍼を刺されるのは痛くないの?とか珍しそうに質問していた。
 
 考えすぎかと思ったのだけれど、やはり胚の個数と頻尿の問題は気になったのでナースに電話をいれる。折り返し電話があったのだけど、規則上、2日目以降の数、詳細は答えられないのだけれど、うまく行っているから心配しなくていいとのことだった。夜の頻尿に関しては試しに今日の夜6時以降は水分を断って様子を見てみましょう、それでも引き続き状況が変わらないようだったら尿検査をしましょう、とのこと。

 週末を卵の報告なしで過ごすのは結構キビしいかも。いや、案じすぎなのは分かっています。とはいえやっぱり気になって仕方がないのも事実。頑張れ〜、卵たち!
 
September 15, 2007 (Day 43)
今日は卵に関する報告はなし。
 明後日に移植でそれから2日間のベッドレスト(絶対安静)ということで、とりあえず家の掃除や雑事にてんやわんや。これは私の責任でもあるんだけど、私の夫は基本的に何も出来ない人なので、いくら休暇をとっているとはいえ、家事関係が心配。料理スキルはご飯を炊くのが限界の夫。
 まだアパートメントに住んでいた時に1ヶ月里帰りしたことがあったのだけど、ドアを開けたら余りの散らかしぶりで全く別世界。本当に部屋を間違えたのかと思ったほど。
 手伝ってくれようとはするんだけど、余りにスキルが頼りないので自分でやってしまったほうが早い・・・、とこれが悪循環の元なのだとは分かっているのだけれどまあ、私もきれい好きでも何でもない(むしろ散らかし派)ので別にいいといえばいいんですが。

 プロジェステロンの注射量が0.5ccから1ccに。今までの皮下注射と違って打った後、半日近くズキズキしたりする。プロジェステロンのせいで久しぶりに便秘生活に。

 相変わらず夜の頻尿は続いているものの、ベッドに戻ればまたすぐに寝てしまう。頻尿は夜だけだし、残尿感もないのでまさか膀胱炎でもないと思うけど・・・と軽く考えていたら、抗生物質の服用分量を間違えていることが分かって、即調整。一応渡されたリーフレットを見ると、ET前日まで抗生物質は飲んでいいらしいので、大丈夫のはず・・・。一応医者に確認しなくては。IVF期間中は免疫力が弱っているので膀胱炎かかりやすいかもしれませんね。

September 16, 2007 (Day 44)
 どうにもこうにも今日は体調が悪くて早くもベッド・レスト状態に。本当は明日からなのにね。オンラインで色々見てみるとどうやらプロジェステロンの副作用に当てはまるようだ。
 頭痛と吐き気、もやもやっとした気分の悪さで半日カウチで寝たり起きたりして過ごす。 ああ、もうダメ、耐えられない、と昼過ぎにタイレノールをとる。

 午後からちょっと買い物に出て、カレーを大鍋いっぱい作る。電子レンジでチンするだけのレトルトのご飯も沢山買い置きしてあるし、とりあえず夫は大丈夫のはず。その他にもきんぴらやもやしのナムルなど。何だか1週間近くは食べ繋げそうなくらいな気がするけれど、如何せん夫も結構食べる人だから準備にぬかりなく。最後におにぎりとお稲荷をいっぱい作って力尽きる。

 ああ、私達の卵たちはどうしているんだろう。全部育っていて欲しいというのは贅沢なのは分かっているけれど、せめて数個、明日の移植分でも元気な細胞でいてほしい。

 確かに欲を言えばきりはないのだろうけど、やはりここまで来れた事は本当にラッキーで周囲に感謝するべきことなんだと思う。

 
September 17, 2007 (Day 45)
 朝6時起床。スエット上下のまま、フリースを着込む。ここ1週間近く、朝の気温がぐっと冷え込んで57度ほど。(摂氏13-4度くらい。)

 鍼治療に行くと先生のスティーブがとてもカジュアルな格好で現れる、そうだ、今日は彼は非番の日だったのだ。にもかかわらず朝からわざわざ施術してくれるなんてとても嬉しい。鍼を打ってもらう時にちょっと話したのだけれど、一番いいのはやはりET直後にベッドで休んでいる間、というのがベストな施術タイミングなのだそうだ。LAあたりだと鍼治療の知名度も高いせいか、直後にやらせてくれる病院もあるらしい。そうは言ってもここはテネシー。

 鍼の後、本来だったら病院まで10分程度の距離なのだけれど、ラジオからいきなり事故の情報が。それって丁度通り道では?あーあ、と思いつつ病院に遅れる旨の電話を入れる。

 本来だったらETの2時間前は膀胱をいっぱいにするためトイレに行ってはいけないのだけれど、私は水を飲んだ15分-30分後にはトイレに行きたくなるくらいトイレが近いので、ちびりちびり水を飲んでは折を見て少しずつ出して(これが辛い)全ての準備が整うまで待機する。
 夫もscrub(手術着)に着替え、マスクもして準備万端。私はバリウムが効いてきた所為か、何だかリラックスして意味もなくクスクス笑い出す始末。Dr. Hillではなく、Dr. Weitzmanが担当するようで、嬉しい。最初、Dr. Weizmanに診てもらったときは、余りにスムーズで痛みも何もない内診にびっくりしたものだ。

 培養士から今日移植する胚盤胞についての説明をうける。2つとも一番いいクオリティーだそうだ。(いわゆるG1とかそういう基準ではなく、両方とも写真と一緒にAと記載されていた。)残り5つも順調に育っていて、びっくりしたのが当日には受精しなかったと思われていた3つの卵子が受精して分割を始めたらしいとのこと!これは本当に思いもかけないサプライズだった。後日、全ての受精卵の凍結時の状態などをヴォイス・メール・ボックスに伝えてくれるそうだ。

 ストレッチャーに載せられ、手術室へ。夫は実際の胚盤胞を見て感動していた。私が好奇心の余り頭をあげるとナースにたしなめられる。ベッドで頭を低くするよう調整されて、施術開始。完全にリラックスした状態でなくてはならず、何か間抜けなことを考えてみる。やはりちょっとした痛みはあって、反応はしてしまったのだけれど、それ以外は薬も大分利いた所為か、ずっとクスクス笑いっぱなしだった。ずっと手を握っていた夫は、「バリウムは(2錠じゃなく)1錠で十分だったねえ。」

 後は準備室に戻って小一時間ほど休憩。膀胱がちょっと辛くなっていたので、何とか頑張って1時間ほど待つのに挑戦してもよかったのだけど、この大切な時にリラックスする方が重要だと思い、事前の打ち合わせどおり看護婦に頼んでベッド・パン(おしっこトレイ)を持ってきてもらう。トイレでないとことで排尿をするというのは文化生活に慣れきった人間には難しいもので、ナースが気をきかせて、水道の水を暫く出して夫と雑談をして音消しをしてくれた。非常に恥ずかしかったけれど一度出てしまったらもう後は楽。その後タオルで拭いてもらうのが又恥ずかしいのですが。
 その後は夫が笑い話をして和ませてくれたり、尿意に耐えることもなくゆっくり休むことができました。これは卵たちにもとっても良かったんだと思う。

 今は家に帰って来て、だらだらベッドで過ごしています。夫がびっくりするくらい優しい。帰って来てから薬の所為か私は少し昼寝をしたのだけれど、夫も眠っていました。彼もものすごく気を遣って疲れてしまったのだろう。

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